写真は©DW News
ついにガザへの攻撃も毎日映像で伝えられるようになってしまい、シリア、ミャンマー、香港、ナガルノ・カラバフ、中国におけるウイグル民族、など、各国の人権規範への意識は、どうなってしまったのか。
どのような国にいても、どのような立場の人でも、
理由もなく拘束されたり拷問されたりして良い理由は
どうしても見当たらないし、
武力を使わない抗議活動に参加しただけで命を落とすようなことがあって良いわけもなく、
そのような基本的人権が
世界的なものだということには、
国際法のどのような条約に
どの国が加盟したかしないかというようなことを超えて、
疑問の余地がない。
ただし、現在の国家が主体の国際社会において、
国家の中心である政府が人権を侵害した場合、
それに対処すべき機関は一時的には国家の内部にある機関であり、
それを律する国際機関も国家の意思を超えて介入できる範囲は
非常に限られているのも事実。
だからこそ国家の行動が非常に重要なのだが、
大国が、ここ15年ほどか、
ロシア、アメリカ、中国と、
より明らかに国際法に違反することを躊躇しなくなったり、
特に国際人権法自体の正当性を公に疑問視したりすることが増え、
全体的に国際人権法の規範としての有効性が急降下しているように感じる。
以前に上司に世界のどこに住みたいかと聞いた際に
他民族で文化が混じり合うある国を推薦したところ、
人権が守られていないからな、という答えだったことを思い出す。
その時は人権が守られていないと言っても自分たちにはあまり影響がないのでは、と
思ってしまったのだが、
そもそも世界のどこに住みたいかと考えられる時点で
相当な「持てる者」であり、
「自分たちには影響がない」と思える時点で
完全に「持てる者」の視点だったな、と
思い返す。
また、その国は今のところ何とか持ちこたえているけれど、
どのような人が国の首席になっても
人権を守る、人権を守らなければいけないような土台というのは
かなり長年で絶え間ない市民の努力の結果であり、
短期間小康状態にあるような国でも
その土台がなければ
かくも容易にその人権を守る制度や文化は崩されてしまうのだと
感じざるを得ない。
人権が重要であるということがある程度共有されていた何十年かの間、
国連人権高等弁務官事務所の高官が'golden age of human rights'と呼んでいた時期に、
人権を守る国家を保つというのは恒常的な世界中の市民の努力の結果であるということを
世界が忘れてしまったのかもしれない。
世界の紛争が、世界の人々の痛みが、よりビジュアルに直接的に毎日届けられる今、
皆が慣れてしまったり、疲れてしまったのもあるかもしれない。
How many dead bodies do we need?
ミャンマーからの悲痛な訴え。
No more deaths.
ついにガザへの攻撃も毎日映像で伝えられるようになってしまい、シリア、ミャンマー、香港、ナガルノ・カラバフ、中国におけるウイグル民族、など、各国の人権規範への意識は、どうなってしまったのか。
どのような国にいても、どのような立場の人でも、
理由もなく拘束されたり拷問されたりして良い理由は
どうしても見当たらないし、
武力を使わない抗議活動に参加しただけで命を落とすようなことがあって良いわけもなく、
そのような基本的人権が
世界的なものだということには、
国際法のどのような条約に
どの国が加盟したかしないかというようなことを超えて、
疑問の余地がない。
ただし、現在の国家が主体の国際社会において、
国家の中心である政府が人権を侵害した場合、
それに対処すべき機関は一時的には国家の内部にある機関であり、
それを律する国際機関も国家の意思を超えて介入できる範囲は
非常に限られているのも事実。
だからこそ国家の行動が非常に重要なのだが、
大国が、ここ15年ほどか、
ロシア、アメリカ、中国と、
より明らかに国際法に違反することを躊躇しなくなったり、
特に国際人権法自体の正当性を公に疑問視したりすることが増え、
全体的に国際人権法の規範としての有効性が急降下しているように感じる。
以前に上司に世界のどこに住みたいかと聞いた際に
他民族で文化が混じり合うある国を推薦したところ、
人権が守られていないからな、という答えだったことを思い出す。
その時は人権が守られていないと言っても自分たちにはあまり影響がないのでは、と
思ってしまったのだが、
そもそも世界のどこに住みたいかと考えられる時点で
相当な「持てる者」であり、
「自分たちには影響がない」と思える時点で
完全に「持てる者」の視点だったな、と
思い返す。
また、その国は今のところ何とか持ちこたえているけれど、
どのような人が国の首席になっても
人権を守る、人権を守らなければいけないような土台というのは
かなり長年で絶え間ない市民の努力の結果であり、
短期間小康状態にあるような国でも
その土台がなければ
かくも容易にその人権を守る制度や文化は崩されてしまうのだと
感じざるを得ない。
人権が重要であるということがある程度共有されていた何十年かの間、
国連人権高等弁務官事務所の高官が'golden age of human rights'と呼んでいた時期に、
人権を守る国家を保つというのは恒常的な世界中の市民の努力の結果であるということを
世界が忘れてしまったのかもしれない。
世界の紛争が、世界の人々の痛みが、よりビジュアルに直接的に毎日届けられる今、
皆が慣れてしまったり、疲れてしまったのもあるかもしれない。
How many dead bodies do we need?
ミャンマーからの悲痛な訴え。
No more deaths.