ふと思ったんだけど、

誰でも、いくら好奇心が強くても、何でもかんでも体験するのは無理。

体験したことについては、他の人の話を聞いて、

「あぁ、分かる、分かる」と分かった気持ちになりやすい。

でもだからと言って、

何かの話をしているときに、

「これは体験しなければ分からないよ」という結論に達してしまうと

他の人には絶対に分からないことになって、

そこで終わってしまう。

例えば、紛争の渦中で夫も息子も殺されてしまい、命からがら逃げてきた人。

または、家庭内暴力の被害にあって、離婚して、子供を一人で育てた人。

そういう人がその体験を語るのに、

「体験しなければ分からないよ」という姿勢でいたら、

みんながそういうことを体験しなければ世界はちっとも良くならないことになる。

それを、どうやって分からないはずの人に伝えるか、というのが

何かを伝えたい人の姿勢であった方がいい。

 

これ、かなり長年の、私のチャレンジでもあります。

「人権」というのは、日本ではとっても重いイメージ。

でも、人権のことを考えるっていうのは

すなわち人間のことを考えること。

誰にも関わること。

例えばイギリスの大学みたいに、

アフガニスタンやイラクなど、国外で起こっていることに対して

みんなが自然に興味を持って、

学生がごく自然にバスを借りてきて、

ただみんなでピクニックに行くみたいに、

みんなでロンドンまでデモに参加しに行ったりとか、

U2みたいに人権問題とか環境問題とかを歌うバンドが、

細々とインディーズで活動するのではなくて、世界にファンを持つ。

そんな感じで、もっともっとカジュアルに、

多くの人が、

お茶を飲みながらでも、目の前のこと、自分のこと以外のことを

普通に話せること。

世界が、人が、近くなること。

既成の分野を超えて、大きな世界とつながること。

そのために、私にはどんなやり方が向いているんだろう。

まだまだ模索中です。

 

今のところの鍵は、

他の分野、他の人のやっていることを批判することから入らず、

分野、肩書きに関わらずいろいろなことに興味を持って、

「へぇ、面白い。」と思うこと、かな。