企画班のNさんのおかげで、
地元の新聞社さんから、今回ブリンディシで行うチャリティBBQ企画を記事にするので、
動機、イベントの様子などを説明するようにとの依頼が来ました。
動機の部分、こんな感じです。



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私は日本人ですが、日本で大学の学部を卒業した後、修士はイギリスで取りましたし、
以後、主に国際機関(国連の各機関、OSCE-欧州安全協力機構など)、NGOなどで仕事をして、東チモール、ボスニアヘルツェゴビナ、スリランカ、ネパール、アフガニスタン、スイス、イギリス、と、日本以外の国でばかり働いてきて、現在もイタリアにおります。
数々の紛争地や紛争の跡地で、
国の再建築、緊急援助と人道援助、人権教育、などに携わり、
多くの人たちの困難と向き合い、大虐殺や自然災害による被害者への援助の現場で働いてきましたが、日本はどの国の援助においても
12番のドナーでしたし、
多くの復興プログラムの背景に日本の長い援助がありました。
今まで私はそうやって、いつも日本から来る資金で他の国を助ける側で働いておりましたが、
日本からの資金ということは、日本人、日本に住む方々の税金が元になっているということを意識していました。

 


今回、日本観測史上最大の地震で、
死者、行方不明者が約
27,000人も出て、
避難をした人が約
44万人、
現在でも11万人ほどが避難していて、避難所で共同生活をしていたりします。
こちらにいても、津波が家々を押し流していく様子や、
逃げ惑う人たちを飲み込んでいく様子などが生々しく放映され、
私もかなりショックを受けました。
とともに、津波が来た際に、いったん高台に避難したのに車椅子の方を助けに行くために引き返し、津波に飲まれていく方の様子、
避難所で皆雑魚寝をし、お互いあまり知らない人たちと共同生活をしたり身内の安否が確認できなかったりしてストレスは最大のはずなのに、きちんと列を作って援助で入ってきた
1人1つのおにぎりを何時間も待っている様子、
電車が止まってしまった地域で知らない人通し道を教えあったりして一緒に歩いて何時間もの家路につく様子、なども報道され、
そういう日本人をとても誇りに思いました。

 


今まで他の国の発展を支援し、他の国の自然災害に寛大な援助物資を送ってきた日本人を、
今助けるときだと思いました。
とは言っても、もちろん、大富豪がするような、何億円という単位の寄付はできません。
日本人の少ない南イタリア、
その中でも在住の日本人が
3人しかいないブリンディシというこの場所で、何かできるとしたら、
公のイベントだと思いました。
つまり、資金を送るだけでなく、
より多くの現地の方に日本という国、日本人、それに日本の現在の惨状を知ってもらって、
こちらブリンディシと東日本の被災地とがより長く、より深いパートナーシップを組む土台になったらいいな、と思ったわけです。
このイベントが、
より多くのブリンディシまたは周辺の人にとって日本が「海の向こうの遠いところ」「中国とかあっちの方」「極東」、または「寿司の国」という認識から、
より近く、顔の見える、親しみやすい国という考えに変わるためのきっかけになれば、と思い、
寿司レッスン、習字、音楽、など、老若男女皆さんで楽しめる盛りだくさんの企画にしました。

 


開催にあたっては、総勢50人ほどの方がいろいろな形で無償で手伝ってくださいました。
本当にどうもありがとうございました。
このイベントだけでブリンディシと東日本の被災地との橋が終わらないように、
イベントの様子などはウェブを通じてお伝えし、
後々また多くの人が見られるようにしたいと思います。