キハラハント愛の世界漂流徒然日記

国連平和維持活動、国際人権法、治安部門改革の分野で活動する キハラハント愛のブログです。

初心に帰る

紛争地で自分の家族や友人の命を守ろうと奮闘する

人々は、たくさんの死に囲まれています。

どこに行っても、誰に会っても、

守りたい人を守ろうとする人たちの生き様は壮絶で

心を打たれます。

彼らが失った愛する人たちへの思いと悲しみは

深く果てしなく、

世界のあらゆる不平等、

司法の救済までも不平等に与えられているという状態を

何とかしたいと

学生の頃に思ってから

何度も軌道を修正しながら

人権法の世界に入ってきて、

何ども悲しみに溺れそうになりました。

何かしたいと思っている自分が

溺れてはいけないと思いながら、

悲しみはあまりにも原色で深く、

時に私の世界を包んでしまうこともありました。

 

1999年の住民投票後、

街中が燃える東チモールから避難した際の罪悪感。

毎日果敢にも仕事にやってきた通訳君達が、

投票所に毎日差し入れを持ってきてくれた女性達が、

あらゆる面でサポートしてくれた村長さん以下青年たちが、

皆どこに行ってしまったか分からない中、

私たちは、

正に目の前で燃やされる私の3番目の通訳君の家を背に
防弾車で避難したのです。


あの時の衝撃。

 

避難したらすぐに、

各テレビのニュースに出たこともあり、たくさんの方々から

「あなたは大丈夫?ああ、無事で良かったね。」という

ありがたいご連絡をいただきました。

私の中に、

東チモールは今こうしていても燃えているのに、

国連を信じてあれだけ果敢に全力で住民投票を実現させた住民たちが

どこにいるか分からないのに、

私を含む外国人だけが無事であることへの怒り、

それでも私の安否を喜ぶ人たちへの怒り、

でも結局何もできない無力感と、

何だかんだ言っても避難してきたという耐えられない罪悪感、など、

潰されそうな悲しみが蔓延しました。

 

どうして今頃このようなことを書くかと言うと、

冷静にいなければ対処できないこともたくさんあるけれど、

人生を左右することになった歴史的瞬間や衝撃は

常に自分の中に置いておかなければ

自分が違う方向に行ってしまうと思うからです。

 

国連で人権を担当していた10数年間の間に、

数々の国であまりにたくさんの生と死に向かい合いました。

私の原点にある、

高校生の時に思ったこと:歴史の教科書で何万人が死にました、と書いてある一人一人の人は、どんな人たちだったんだろう。ヘンリー8世の何人もの奥様の話と、戦争で死んでしまった何万人の人たちのお話と、あまりに命の価値が違いすぎるのではないだろうか。

命の価値は皆同じ、

これは人権の、いえ、人間の原点なのに。

 

でも、実際は、命の扱いは平等ではありません。

あまりにも軽い命

あまりにも安い命が

世界中にあります。

 

国連で働いている際に、はっとしたことがありました。

東チモール・リキシャ県で
あまりにもたくさんの虐殺・殺人・レイプなどの事件を扱っていて、

アシスタント君が、

「○○町で事件があり、2人死者が出たようです。」と

プレハブの仮設オフィスの中で報告してくれた、あの朝。

私の中に、即

「あぁ、これは優先順位が低いな。死者2人だけだから。」という気持ちが浮かんだのです。

あ、これはいけない、と思いました。

自分は一人ひとりの命の重さは同じのはずじゃないか、というところが

原点なのに。

忙しさに振り回されて、何を見失ったのだろう。

その後2週間ほどのお休みをいただいて、

一度東チモールの外に出ました。

 

今、私は国連での仕事をいったん離れ、大学の研究・教育職にいます。

これには2つ柱があります。

1つは世界をより良くするのにより効果的に貢献するために、

国連の内部で実務に翻弄し、

幅広く何でもやるけれど

何も深く知ったり研究したりする時間のない状況を脱却し、

より専門的に一つの分野について、

国際社会を変えられる専門的な提言を

世界の中心に向かってできるよう、

自分でやりたいテーマについて、とことん研究したい、という柱。

もう1つが、私のビジョンをシェアできる次世代の学生さんたちを

全力でサポートして

層の厚い仲間を作っていきたいという柱。

この2つの柱は、

全て私の「世界をより平等な場所にして行きたい」というビジョンに

つながらなければいけません。

 

自分が原点に返ることの大切さを感じます。

そう思わせてくれる出会いに感謝します。

訃報と命の重さ

1週間ほど前にウガンダから訃報が届いた。

我が家が仕事でウガンダに赴任していた際に
友人から推薦を受けて我が家で働いてもらった、
万能な青年ジェームズ君。
始めは運転手と支払や買い物など外回りを担当してもらうスタッフだったのが、
実はセキュリティガードのマネジメントや
電気やガスなどサービス会社との様々な交渉や立会いにも
めきめきと頭角を現し、
色々と建設的な意見もくれるし
それでいて温厚な性格のため、
我が家のことはほぼジェームズ君に任せきりだった。
私が彼につけたニックネーム:Mr. Do-Everything.

彼のお家は大変貧しかったので、
私たちが引き上げる際には
ガスコンロ・ボンベから水を汲む道具、調理用具などまで、
一式彼に残してきたのだけれど…

その後結婚して子供が生まれて
とても喜んでいたと思ったら、
息子さんが事故死してしまったという訃報。
よく聞いてみると、
安全基準を満たしていないと思われる
電気湯沸かし器で沸かしたお湯で
紅茶を入れていたお母さん。
そのお湯が息子さんにかかってしまい、
お湯に電気が通って
一瞬で感電して亡くなってしまったのだと。

この命は、絶対的な貧困がなければ
失われなかった命だ。

安全基準を満たしていない湯沸かし器を
使わなければ良いではないか、という問題ではない。
安全基準を満たす湯沸かし器を買う経済力もないし、
お母さんには常に多忙だろうから、
さっとお湯を沸かせる湯沸かし器を重宝していたのだろう。
きっと誰かからいただいたものを
ありがたく使っていたのだろうと推察する。
ものすごく働き者のジェームズ君。
色々とアイディアもあるから
電気のコードなども
リサイクルから自分で接続したりして
何とかやりくりしているのだ。

貧富の差の激しいウガンダには、
ジェームズ君のような人はいくらでもいるし、
外国人の家庭で働けたジェームズは
とても幸運だと考えられている。
地元の富裕層に雇われたスタッフたちは
一般に半分以下の賃金で倍以上働かされるから。

貧富の差の大きな社会構造は
なかなか変わらない。
家にスタッフを雇うということに
抵抗があったこともある。
外国人が現地の人を雇う上下関係に
加担することに抵抗があったから。
でも、我が家にスタッフを雇うことで
少しでも何人かでも
仕事があるということは、
その家族、親せきまで食べるものに困らないということだ。
また、そうしてスタッフに作ってもらった私の時間を
このような世界の構造を変えるための試行錯誤の一環に
大切に使わせてもらえた。

それにしても、小さな命が
こうやって地球の向こう側で一瞬で失われたことに
非情を感じる。
命の重さは皆同じなのに
大人になるまで生き延びる可能性は
確実に不公平な配分だと思う。

フィンリー君、どうか安らかに。

日本国際平和構築協会・国連システム学術評議会の平和構築に関するシンポジウム

AKASHIOKAMURAHASEGAWA12月2日(土曜日)、
私が事務局長を務める日本国際平和構築協会(Global Peacebuilding Association of Japan:GPAJ)と
国連システム学術評議会(ACUNS)との共催で
「アフリカでの国連平和活動の新たな挑戦」と名打ったシンポジウムが開催されました。

明石康元国連事務総長特別代表の
カンボジア・旧ユーゴスラビアでのご経験に基づくお話しと、
岡村善文大使の、
国連平和活動のフィールドでのご経験やコートジボアールなどでの
大使としてのご経験に基づくお話しがあり、
大変参考になりました。
特に、私が国連警察について常に問題提起している、
意思決定を行う国連安保理、国連のフィールドと要員を派遣する国との
意識のずれ、意思疎通の不十分さ、装備の不備など、を
軍事要員について鋭くご指摘された大使のお話しは
大変興味深く拝聴しました。
文民の保護というマンデートに
国連加盟国から軍事要員を派遣しても、
その要員を犠牲にしても
現地の文民を守るという決定を
派遣国は現場でできるのだろうか、
どのくらいの割合の派遣国が
そのような判断をできるのだろうか、と、
深く考えさせられました。

事務局長として、企画・運営・連絡・会計すべての責任者ということで、
大変心配でしたが、
おかげさまで外部からも50余名の参加者がいらっしゃる
大きなイベントとなりました。

このシンポジウムのプログラムはこちらです。
発表された内容については、
これからGPAJ/ACUNSのウェブサイトにて
ご紹介していきます。

同日午後には平和構築に関する
GPAJ初めての研究大会を開催しました。
そちらは別途記事にします。

AM sessionUEKISATO


プロフィール

hyoryumin_jane

カテゴリ別アーカイブ
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ