キハラハント愛の世界漂流徒然日記

国連平和維持活動、国際人権法、治安部門改革の分野で活動する キハラハント愛のブログです。

United for Japan Project

IMG_6373今回日本であんな地震があって、
たくさんの方が亡くなり、
避難され、
余震や原発の事故で不安な日々が送っていることは、海外生活の長い私にも自分でびっくりするくらいショックでした。

途上国生活の長い援助関係のお仕事をされている方も言っていらっしゃいましたが、今まであれだけ「死」と直面する人々を見て、
彼らの体験をたくさん聞いて、
惨事というのは世界にこんなにもたくさんあるものだ、ということを現実として受け止めていた(受け止めざるを得ないということを認識していた)つもりでしたが、今回、1人1人の被災者の方の体験談や、地震や津波の映像を見ると、いつも以上のショックがあり、1人1人の方がどんな思いをされたのか、次々と勝手に映像や感情が沸いてきました。

何かできることはないか、と、震災の2日後から模索し始めました。
とは言っても、まだブリンディシに来て4ヶ月ほど、
恥ずかしながらお店で買い物をするときに探しているものがどの棚にあるか質問するのもまだまだ身振り手振りの多い私です。
ここでのネットワークなどもまだまだ日が浅くてあまりちゃんとできていないし、さあ、どうしよう、と、
まずちょうど一緒にコンサートを終えたばかりだったバンドの仲間何人かにメールをしてみました。

即返事をくれた2人の友人、クロアチア人とルーマニア人の
お母さんたちですが、
「とってもグッドアイディア!どんな企画にしようか!Whatever your idea is, count me in!」と即答。
これには励まされました。
「よーし、じゃあ、お母さんネットワークにメールをして、
協力してくれる人を募ろう!」
ここでまたたくさんのお料理名人を獲得。みんなでお料理をして売ることに決定。
「じゃあ旦那の事務所のレクレーション委員会(そんなのあるんですよ!)にコンタクトしてみよう!」
「バンドも入れちゃおう!」
「あなた折り紙折りなさいよ!」
と、こんな調子で、ちっともまとまりのない集団ではあったのですが、
皆が全力で、でも無理をしないで、できる範囲のことを提案してくれ、
協力してくれました。

その名もUnited for Japan Project。
第一弾は4月1日の金曜日の夕方に、旦那の事務所のカンティーンをお借りして、お寿司、インド料理、フィリピンのチキンアドボ、マフィンやケーキ、などをおつまみやお土産として売らせてもらいました。
事務所所属のバンドも応援に来てくれてたくさん歌を披露してくれました。
折り紙も折って見せるだけでなく、できた作品をお土産として売ることに。
いつもはハッピーアワーと言っても大体30人くらいしか来ないカンティーン、この日は250人という記録的なお客さんを得て、
食べ物は完売!
折り紙だけの収益が100ユーロ。
全体の収益が1500ユーロほど、という、
第一弾の企画としては大成功を収めました。

朝から一緒にお寿司をまいてくれた日本人の方がた、
料理や企画で走り回ってくれたお母さんたち、
音楽を提供してくれたバンドのメンバーたち、
それから、ポスターやチラシの作成、
プレゼンテーションで使う写真を提供してくださったり
いろいろなアイディアや体験談をはるか世界の向こうから提供してくださった方がた、
ありがとうございました。

収益は赤十字に寄付させていただきます。
有名人が何億円、という単位で寄付してような規模の支援ではありませんが、小さな港町ブリンディシに住む私たちにできることを
祈るだけではなくて何か形にしたい、と、やってみました。

次回はバーベキューです。
音楽あり、習字で名前を書くコーナーあり、子供向けのエンターテイメントあり、で、にぎやかに行きますよ。

頑張って行きましょう

多くの紛争を見て思いますけど、
紛争の当事者以外に、
被害者のことを考えろ、っていうのはかなり無理があるみたいです。
東チモールで皆が目の前で死んでいくところを見て、
インドネシアのジャカルタに出たら、
皆何もなかったように暮らしていて(そのときはまだ同じ国だったのに)、
東チモールの様子を説明しても、
やっぱりエアコンの効いたオフィスで9時から5時までのお役所仕事をしている役人さんたちの心はちっとも動かなかったし。
だから、今回の日本の地震と津波、原発のことについて、
ワンクリックでも、
「君の家族は大丈夫か?」と聞いてくるだけでも、
とにかく他の人たちが関心を持ってくれているというだけでびっくりです。

 

日本国内で、被災地や原発の影響の心配される地域の人たちが、
お互いに助け合って、物資を分け合ったり、
大混乱にならずに皆が列をつくって交通機関を待ったり避難所に行ったりしているのを報道で見ると、
日本人の秩序、コミュニティ精神って本当にいいところがあるな、と思います。
原発に放水したり正に現場で戦っていらっしゃる方々には
本当に頭が下がります。よろしくお願いします。

 

日本国内外の日本人が、募金活動なり、
ネットワークを作って安否確認を一緒にしたり、
被害者名簿をイタリアで手伝っていたりするのを見ると、
日本人の行動力、団結力にはまた圧倒されます。

 

元国際機関の職員としては、ここイタリアの事務所で、
もっと積極的に募金活動なりロスターで人を派遣する企画なり、何も上がってこないのは本当に情けないです。
国際機関で働くあなたたちのお給料の多くは、日本から来ていて、要するに日本人の1人1人が払った税金から来ているということを考えてほしい。
どんな発展途上国の開発プロジェクトの背景にも日本の支援があるじゃない。
どうしてここで日本をサポートしないでいられるのか。
ここのベースではただ1人の日本人として、
自分で送金するのはもちろんですが、
ここの人たちの意識に日本の惨事をちゃんと刻んでもらうため、
また、少しでも被災地を支援するため、私も動いています。

うちのバンドですが、先週土曜日にコンサートをやったばかりなのですが、チャリティとしてまたコンサートをすべく、
コンダクターに掛け合ってみました。
彼が
OKしてくれたので、いざコンサートの企画に入ります。
バンドが
OKとなれば、あとは場所と企画だけです。
企画だったら私も一役買えそうです。

 

頑張って行きましょう。

国民と国の政策

ふと思うんだけど、
ある国の国民というのは、
その国が対外的に行っていることに対して、
「私には関係ないし、私が悪いわけじゃない」という姿勢でいいんだろうか。

 今、研究しているテーマの中に、東チモールも含まれている。
東チモールに関しては、インドネシア軍隊も、警察も、
確実に、 24年間もの間、大量の殺戮行為を行った。
もちろん、それを、
現地にいたインドネシアの公務員やビジネスマンたちは知らないはずがないし、
公務員やビジネスマンはローテーションで回っているんだから、
かなりのインドネシア人たちが現実のこととして知っていたはずだ。

私たちが燃え盛る東チモールから避難させられた後、
着いたジャカルタでの知人たちの態度は忘れられない。

東チモール、1999年。
散々私たちのスタッフが、
いつも遊びに来ていた子供たちが、
近所の人でいつも夕食をつくってくれていた家族が、
それにいつもお世話になっていた村長さんを始めとするみんなが、
丘をつたって逃げていくのを目の当たりにしながら、
また、彼らの家がインドネシア軍の軍隊によって焼かれているのを目にしながら、
私たちは避難することになった。
私は、私の3人目の通訳君の家が、
正にインドネシア軍によって正に火を着けられているところを見ながら、防弾車で、交通封鎖をしているところを突っ切って、
避難することになった。

そして、ジャカルタ。
私たちを迎えたのは、公職につく人たちだったけれど、
「東チモール、どうだった?」と聞くので見たことを伝えると、
「あぁ、東チモールから帰ってきた人たちは、みんなそう言うんですよね。でも本当にそうなんでしょうか。」

冗談じゃない、と思った。
ジャカルタのエアコンの入ったオフィスで、
あなたが書類を書いていた間に、
何人の人があなたの働くインドネシアの政府の政策によって死んだのか、考えたことがあるのか。
あなたが実際に東チモールで住民に対して銃を撃っていないからって、あなたはそんなに全く関心がなくて、
それでいいんだろうか。

国と国民という関係よりももっと広く言えば、
私たちは、例えばイラクで、アフガニスタンで、ダルフールで、
何が起こっているか、こんなに知らなくて、それでいいんだろうか。
世界って、そういうものなんだろうか。

「命の重さはみんな一緒だ」なんて、
ミスコンで好きな言葉は「ワールドピース」だなんて、
軽く言ってほしくない、と思う。
だって、現状は、命の値段、ある命を守るのにかけられるお金や努力、関心っていうのはものすごく違うじゃない。

(念のため、注。
インドネシアをピックアップしたのは、たまたま私が東チモールにいたからで、インドネシア人を非難しようという意図は全くありません)
プロフィール

hyoryumin_jane

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