キハラハント愛の徒然日記

国連平和維持活動、国際人権法、国際人道法、法の支配、治安部門改革の分野で活動するキハラハント愛のブログです。

仕事のバランス

大学の授業が休みの間に
研究を進めて執筆もかなりこなさないと
せっかくご依頼いただく種々の原稿や
自分のプロジェクトのアウトプットが出せません。
ちなみに、
他の人が書いたものを読むということが
色々な業務の中にたくさんあるのですが、
1月中旬から2月中旬までの間は物凄かったので、
数を数えてみたところ、
博士論文の原稿や出版物に対しての批評を含め、
1か月間に62件でした。

月刊誌「群像」の3月号には
「平和の主語」という簡単なエッセイを
掲載していただきました。
gunzogunzo2


色々とご依頼いただく
講演やセミナーでのスピーカーとしてのお役目は
新しい人たちやテーマにも出会えて
アイディアが広がるので、結構好きです。
専門的なところで最近では、
「保護する責任と人間の安全保障」についての会議は面白かったですし、
最近コラボレーションを進めている
治安部門の文民によるコントロールについて活動し、
国連警察についての分析なども国連から引き受けたりしている、
DCAFのセミナーは面白いです。
今日はこれから国連に軍や警察を送る
派遣国の治安部門の改革についての有識者会議。

全く研究と関係ないところでの講演では、
世界の人権の話をしてください、というので
世界各地の人権の話と日本の人権の話を織り交ぜて
お話ししてみたところ、
参加者皆さんの感想を送ってきてくださって、
とても興味深かったのですが、
中でも、
「戦争が一番の人権侵害なのではないでしょうか。」というのは
とてもシンプルで良い質問だな、と思いました。
もっと若い層では
ある中学校でも平和構築についてお話しさせていただいたところ、
「相手の言うことを聴くということが一番大事だと思います。」
そうですね、
結局は戦争しているのも人権侵害をしているのも
人間ですからね。

仕事のバランスを取りながら
これから集中して頑張ります。

国連から教育・研究職へ 「ヒト」を研究する気持ちのジレンマ

国連の安定したポストを離職して
エセックス大学での博士課程を経て
東京大学で研究職・教職についてもうすぐ5年。
東京の大学から
人権侵害や紛争、
また、そのような地で活動する国際機関などについて
「研究」して
それを「教える」ことに、
継続して消化不良な気持ちがある。
いくつかのエピソードで
その消化不良なところが表せるだろうか。

6月末だったか、
ある実践的国際法の授業で、
熱心な学生さんから質問があった。
「旧ユーゴスラビアの紛争では
スレブレニツァの虐殺だけが
『ジェノサイド』として国際的に取り上げられ、
国際法廷でも扱われて
被害者の救済も進んでいるけど、
僕の親戚は死者が2人、
負傷者が何十人という規模の攻撃に合い、
愛する家族を失った悲しみや
味わった恐怖は変わらないのに
救済の手が及ばなかった。
先生、国際法や国際社会というのは
数でしか動けないのでしょうか。
人びとの苦しみや悲しみは
数でははかれないのに。」

そう、
「ジェノサイド」には定義があるし、
「戦争犯罪」だって定義がある。
被害者がどれだけ悲しんだかということは
ほとんど関係ない。
それは私も
実務の中で何千人という被害者やその家族の話を聞く中で、
本当に辛い気持ちになった。
それに、被害者の多くは
司法に救済されない。
彼らの悲しみを聞くことはできるし、
寄り添うことはできるし、
自助を助けたり、
できることをすることはできるけど。

スリランカがまだ内戦状態だった頃、
当時タミルの虎が支配していた北部キリノッチに
プロテクションオフィサーとして
勤務していた。
非常に有能で現実をしっかり分析していた、
私の右腕だった現地同僚の言葉で、
忘れられない言葉がある。
内戦が小康状態になって、
紛争解決・和解・平和構築などの研究のために
多くの研究者が海外から訪れた頃。
彼曰く、
「紛争解決とか、平和構築とか、
僕たちにとっては日常で、生きることだけど、
研究者にとっては僕たちはモルモットのようだ。
でも、いつでも研究しに来たらいい。
5年後でも10年後でも、
僕たちはまだ戦っているから。」

東ティモールでも、
紛争後、首都から近いリキシャ県にいた私達のところには
雪崩のように多くの要人、研究者、ミッショナリーなどが
訪れた。
紛争について、平和について研究するのだと、研究者。
既に現地のコミュニティーリーダーから、女性団体から、
NGOから、警察から、検察から、
多くの人たちから
リキシャ県の教会で起きた虐殺について
何度も何度も話を聞かれている未亡人たちが、
今度は何度も研究者たちに呼ばれて話をしているようだった。
「昨日の午前中はNGOの聞き取り、
午後は国連のある機関の研修、
今日の午前中は警察が来て、
その後カウンセラーが来て、
午後は研究者という外国人が
家を訪ねて来て話を聞かれていたのよ。
先週は別の研究者が話を聞きに来たし。
せっかく未亡人の自助活動として
手芸の事業を始めたのに
そちらに使う時間がなくてね…」と
未亡人グループのリーダーが
微笑みながら言っていたことを思い出す。

国連で働いていてコミュニティに非常に近かった時には、
「ヒト」は遠くから研究するのでも分析するのでもなく、
共に生きる存在だったような気がする。
助けるというような大層なことではなくても、
彼ら・彼女たちと多くの時間を過ごし、
強い信頼関係を築き、
彼ら・彼女たちが首都や国連本部、世界に知ってほしいことを
彼らの立場に近いところから発信できていた気がする。

でも、ある時点でちょっと限界を感じることもあった。
東ティモールから、現地の人たちと非常に近く生きる中で、
そこから国連本部や世界に向かって
直接的に影響のある行動をするのは
難しい。
東ティモールから現地の目線で
現地の人の言葉で
ニューヨークに向かって発信しても
届かないのではないかと。
同じ目的でも、
意思決定をする人達、国家の代表などが使う言葉で、
その様式で、そのマナーで発信しないと
届かないのではないかと。
国際法というのはその「言葉」であり、
「様式」であり、「マナー」なのではないかと。
だから、私にとっては国際人権法も国際人道法も、
人を助けるためのツールでしかあり得ない。
国際人権法も、国際人道法も、
国際刑法も、難民法も、
ツールとしてマスターしてきた。
でもやっぱりそのツールと
あのスリランカ北部や
東ティモールの未亡人団体の生身の人達とは
ピッタリ来ないことがある。
国際法というツールで
分析をするときに
その対象に顔がついてしまうことによる
心理的な問題か。

スリランカ・ネパール・東ティモールなど、
滞在して働いていた国や地域の状況について、
研究者が分析した論文などでも
実は非常にすっきりしない気持ちで読むことがある。
例えば和解の話。
どのコミュニティや地域、国の方が
和解がスムーズに進んだ、
その理由は…と来ると、
それはマクロな話だと分かっていても、
「いやいや、同じコミュニティでも
あの加害者と被害者家族は全くそんなことなかった」
と思ってしまうこともあるし、
「世界の紛争がどのような場合に再発するかということを分析した結果
○○の国は紛争が再発する可能性が高い」
なんて研究があれば、
その国やコミュニティの人達を思い浮かべ、
外から彼らの生命についてそんなことを他人事のように分析していて
非常に申し訳ない気持ちになったりする。

少々別の方面で
ちょっと消化不良なこともある。
それは、
国連や国際機関、国際法などの実態などについて
授業で扱っていて、
「国連や国際法は
時代遅れで全く使い物にならない、
浪費ばかりする無駄なものだ」というような
意見が出るとき。
国連や国際法には問題はたくさんあるし、
それは国連の様々な機関にいた私も
それぞれの問題点を体感してきたから
気持ちは分かる気がする。
でも、例えば東ティモールは
どんな問題があったとしても、
国連がなかったら
インドネシアの占領下から
逃れられなかったし、
1999年8月の住民投票の際に一緒に仕事をした
多くの国連のスタッフたちは
危険と背中合わせの中、
住民を守り、守られながら
献身的に職務を全うしていて、
やっぱりあれだけ全身全霊でやったことは
仕事の域を超えていたし、
あの頃の住民の勇気・結束と
それに答える現地の国連機関、
国連スタッフは
今まで働いてきた中でも
多分一番全うで
人間としてかっこ良かった。
国連について多くの否定的な情報が取り上げられることも多いけれど、
あの時の体験をどう伝えたら良いだろうか。
伝えきれないのだろうか。

実務から来る教職・研究職の人は
誰もが経験することなのだろうか。
それとも私が
研究する対象としてのヒトや機関と
距離を取り切れていないのだろうか。
そもそも距離を取りたくないのかもしれない。

学生さんの質問を聞いて、
そんなことを暫く考えている。

(もちろん現職の良さや楽しさは大いにあるのだが、
それは今までに何度か書いてきたので
そちらを読んでいただければ。)

国際社会における人権規範

How many bodies写真は©DW News

ついにガザへの攻撃も毎日映像で伝えられるようになってしまい、シリア、ミャンマー、香港、ナガルノ・カラバフ、中国におけるウイグル民族、など、各国の人権規範への意識は、どうなってしまったのか。

どのような国にいても、どのような立場の人でも、
理由もなく拘束されたり拷問されたりして良い理由は
どうしても見当たらないし、
武力を使わない抗議活動に参加しただけで命を落とすようなことがあって良いわけもなく、
そのような基本的人権が
世界的なものだということには、
国際法のどのような条約に
どの国が加盟したかしないかというようなことを超えて、
疑問の余地がない。

ただし、現在の国家が主体の国際社会において、
国家の中心である政府が人権を侵害した場合、
それに対処すべき機関は一時的には国家の内部にある機関であり、
それを律する国際機関も国家の意思を超えて介入できる範囲は
非常に限られているのも事実。

だからこそ国家の行動が非常に重要なのだが、
大国が、ここ15年ほどか、
ロシア、アメリカ、中国と、
より明らかに国際法に違反することを躊躇しなくなったり、
特に国際人権法自体の正当性を公に疑問視したりすることが増え、
全体的に国際人権法の規範としての有効性が急降下しているように感じる。

以前に上司に世界のどこに住みたいかと聞いた際に
他民族で文化が混じり合うある国を推薦したところ、
人権が守られていないからな、という答えだったことを思い出す。
その時は人権が守られていないと言っても自分たちにはあまり影響がないのでは、と
思ってしまったのだが、
そもそも世界のどこに住みたいかと考えられる時点で
相当な「持てる者」であり、
「自分たちには影響がない」と思える時点で
完全に「持てる者」の視点だったな、と
思い返す。
また、その国は今のところ何とか持ちこたえているけれど、
どのような人が国の首席になっても
人権を守る、人権を守らなければいけないような土台というのは
かなり長年で絶え間ない市民の努力の結果であり、
短期間小康状態にあるような国でも
その土台がなければ
かくも容易にその人権を守る制度や文化は崩されてしまうのだと
感じざるを得ない。

人権が重要であるということがある程度共有されていた何十年かの間、
国連人権高等弁務官事務所の高官が'golden age of human rights'と呼んでいた時期に、
人権を守る国家を保つというのは恒常的な世界中の市民の努力の結果であるということを
世界が忘れてしまったのかもしれない。
世界の紛争が、世界の人々の痛みが、よりビジュアルに直接的に毎日届けられる今、
皆が慣れてしまったり、疲れてしまったのもあるかもしれない。

How many dead bodies do we need?
ミャンマーからの悲痛な訴え。
No more deaths. 

記事検索
プロフィール

aikiharahunt

カテゴリ別アーカイブ
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ